慶長19年4月16日(1614年5月24日) 豊臣秀頼 方広寺大仏の鐘を鋳る

慶長19年4月16日(1614年5月24日) 豊臣秀頼が方広寺大仏の鐘を鋳る。鐘の銘文のうち「国家安康」が「家康」を分断する呪いを込めたとの言いがかりで、豊臣家滅亡のきっかけとなったことで知られている。
方広寺は、天正17年(1589)に豊臣秀吉が東大寺の大仏殿を模して創建された。開山は、秀吉の高野山攻めで和平の仲介に活躍した僧侶の木食応其(もくじきおうご)。
京都市東山区茶屋町に方広寺大仏殿跡及び石塁・石塔があり、国史跡。

  • コメント: 0

関連記事

  1. 寛永15年2月28日(1638年4月12日) 島原の乱、原城陥落。天草四郎戦死。

  2. 文久3年3月13日(1863年) 近藤勇らが新撰組を結成

  3. 井伊直政はなぜ大出世できたのか。見た目だけでなくメンタルもイケメンだった

  4. 国宝「渓陰小築図」(京都・金地院)は新オフィス開設祝いの胡蝶蘭?

  5. 国宝「金剛経」張即之筆 南宋時代 宝祐元年(1253)京都・智積院蔵

  6. 茶の湯展(京都国立博物館)で見た国宝18点すべての感想

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。